飛鳥・藤原から平城京へ
二つの世界遺産をつなぐ奈良の歴史
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」が誕生したことで、奈良県には二つの古代都城を伝える世界遺産が並ぶことになりました。
南には飛鳥・藤原。
北には平城京を中心とする「古都奈良の文化財」。
一見すると別々の世界遺産ですが、その歴史は一つの流れの中でつながっています。
飛鳥で芽吹き、藤原京で育まれた古代国家
6世紀末から7世紀にかけての飛鳥では、仏教が本格的に受け入れられ、大陸との交流を通して、新しい文化や技術、政治制度が取り入れられました。
その歩みの先に築かれたのが藤原京です。
日本で初めて本格的な条坊制を備えた都では、律令国家としての仕組みが整えられ、後の平城京へと受け継がれる基礎が築かれました。
710年、都は奈良盆地北部の平城京へ移ります。
しかし移ったのは都だけではありません。
人々の暮らし、寺院、信仰、技術、文化もまた、新しい都へと受け継がれていきました。
東大寺の大仏、正倉院宝物、国際色豊かな天平文化。
その華やかな時代は、飛鳥・藤原で積み重ねられた歩みの上に築かれたものです。
飛鳥寺から元興寺へ
そのつながりを最もよく伝えている寺院が元興寺です。
元興寺の前身は、飛鳥に建立された法興寺(飛鳥寺)。
平城遷都にともない寺院も新しい都へ移され、現在の元興寺となりました。
飛鳥の寺院文化は、そのまま奈良へ受け継がれたのです。
現在のならまちは、かつて広大な境内を持っていた元興寺の旧寺域を中心に発展した町です。
町家の間に寺院や石仏が点在する独特の景観は、この歴史の積み重ねによって生まれました。
古代の道が南北の都を結んだ
飛鳥・藤原と平城京を結んだのは、文化だけではありません。
奈良盆地には古くから南北を結ぶ道が整えられ、人や物、情報が行き交いました。
その代表の一つが上ツ道です。
桜井から天理、帯解、京終を経て奈良へ至るこの古道は、飛鳥・藤原と平城京を結ぶ重要な交通路でした。
古代の人々も、この道を歩きながら南北の都を行き来したのでしょう。
現在の道筋をたどるだけでも、奈良盆地が一つの歴史空間であることを実感できます。
世界遺産をつなぐ「ならまち」
当店「はり新」が建つならまちは、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産である元興寺を中心に発展した町です。
飛鳥寺を源流とする元興寺。
飛鳥との縁を今に伝える瑜伽神社。
そして南北を結ぶ上ツ道。
こうした歴史に囲まれた場所で、今日も多くの方をお迎えしています。
二つの世界遺産を、一つの旅として
飛鳥・藤原を訪れたあと、奈良市へ。
あるいは奈良公園やならまちを歩いたあと、飛鳥へ。
二つの世界遺産を別々に巡るだけではなく、一つの歴史としてたどってみると、奈良の旅はさらに奥深いものになります。
飛鳥で芽吹き、藤原京で育まれた文化は、平城京で大きく花開きました。
そして、その歴史は元興寺やならまちへと受け継がれ、今も奈良盆地の風景の中に息づいています。