猿沢池からならまちへ―小さな石橋「嶋嘉橋」
猿沢池からならまちへ向かって歩くと、一対の大きな石灯籠の間を通ります。
ここで少し足を止めてみてください。
実はこの場所、小さな川に架かる「嶋嘉橋(しまかばし)」という石橋です。
あまりにも町の風景に馴染んでいるため、橋があることさえ意識せずに渡っている方が多いのではないでしょうか。
〈二基の石灯籠の間に架かる嶋嘉橋。橋を渡れば、ならまちへと道が続きます。〉
250年以上、ここを人々が渡ってきました
嶋嘉橋が架けられたのは、江戸時代の明和7年(1770)。
橋の下には今も、
「明和七庚寅年五月吉日」
「椿井町施主 嶋屋嘉兵衛」
と刻まれた橋脚が残っています。
椿井町に暮らしていた嶋屋嘉兵衛が架けた橋と伝えられ、250年以上を経た現在も、私たちは同じ橋の上を歩いています。
〈橋の下には「明和七庚寅年五月吉日」の文字。1770年に架けられたことを今に伝えています。〉
1770年と聞くと、私には少し親しみを感じるところがあります。
実は、ならまちにある当店「はり新」の建物も築約250年。正確な建築年は分かっていませんが、嶋嘉橋とほぼ同じ時代に建てられた町家です。
この橋が架けられた頃、ならまちには今に続く町家が建ち、人々が暮らしていました。
そう考えて橋を眺めると、いつもの風景が少し違って見えてきます。
この橋から、初瀬へ、伊勢へ
現在は、猿沢池からならまちへ入る小さな生活道路です。
しかし江戸時代、この辺りは遠くへ旅する人々も行き交う場所でした。
大阪方面から暗峠を越えて奈良へ。
京都方面から奈良街道を通って奈良へ。
そして奈良からさらに南へ、初瀬詣や伊勢参りへ向かう人々が歩いたのが上街道(上ツ道)です。
上街道は奈良から桜井方面へと続き、江戸時代には生活の幹線であると同時に、京都や大阪方面から奈良を経て初瀬や伊勢へ向かう人々にも利用されました。
嶋嘉橋は、その上街道へと続く場所にあります。
今ならほんの数歩で渡ってしまう小さな橋。
けれど250年前には、旅装を整えた人々がこの橋を渡り、初瀬へ、さらに伊勢へと歩いていったのでしょう。
二基の石灯籠の間から南へ続く道を眺めていると、そんな昔の旅人の姿を想像してみたくなります。
1791年の猿沢池を眺めてみると
嶋嘉橋が架けられてから21年後。
寛政3年(1791)刊行の『大和名所図会』には、当時の猿沢池周辺の様子が描かれています。

〈寛政3年(1791)刊行『大和名所図会』に描かれた猿沢池周辺。率川を渡る道には小さな橋の姿も見えます。〉
よく見ると、猿沢池の南西側、率川を渡る場所に小さな橋が描かれています。
現在の嶋嘉橋が架けられた1770年から、わずか21年後の風景です。
さらに絵の中を探してみると、なかなか面白いものが見つかります。
猿沢池の北側には、興福寺へ上がる五十二段。池のほとりには采女神社。そして、よく見ると鹿の姿まで描き込まれています。
町並みは大きく変わりました。
それでも、猿沢池があり、鹿が歩き、人々が五十二段を上り下りし、小さな橋を渡ってならまちへ向かう。
200年以上前の絵の中に、今の奈良を歩いていて目にする風景を見つけられるのは、なんとも面白いものです。
橋の下を、ちょっと覗いてみてください
そして嶋嘉橋を渡るとき、もう一つ見ていただきたいものがあります。
橋の下を覗いてみてください。
〈橋の下を覗くと、率川のほとりに赤い前掛けのお地蔵さんが並んでいます。〉
小さな率川(いさがわ)のほとりに、赤い前掛けをしたお地蔵さんがたくさん並んでいます。
率川地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんです。
私は子どもの頃、この辺りの大人から、
「川を整備したとき、川の中からたくさんのお地蔵さんが出てきたので、ここに集めてお祀りした」
と聞いた記憶があります。
現在残る記録でも、率川の護岸工事などの際に石仏が見つかり、この場所に集めて祀られてきたことが伝えられています。
〈率川の工事などで見つかった石仏を集めて祀ったと伝わる率川地蔵尊。今も大切に守られています。〉
なぜ川の中にこれほど多くの石仏があったのでしょう。
いろいろな説や伝承が残っていますが、ここでは深く追いかけないことにしましょう。
橋の下にこんな場所があることを知らず、毎日たくさんの人が橋の上を通り過ぎていきます。
それもまた、ならまちらしい風景なのかもしれません。
少しゆっくり、ならまちを歩いてみませんか
嶋嘉橋は、大きな観光名所ではありません。
わざわざこの小さな橋だけを見るために奈良へ来られる方も、ほとんどいないでしょう。
でも私は、こうした場所を一つずつ見つけることも、ならまちを歩く楽しさだと思っています。
猿沢池を離れ、小さな橋を渡る。
橋の下を覗いてみる。
古い町家の間を歩き、小さなお堂やお地蔵さんを見つける。
少し歩けば世界遺産・元興寺があります。
そして嶋嘉橋から続く道をさらに南へ歩き、元興寺の西側を通って上街道を進むと、同じく約250年の時を重ねてきた町家「はり新」があります。
250年前の旅人も歩いた道を、今の私たちも歩いている。
猿沢池からならまちへお越しの際には、少しだけ歩みを緩めてみてください。
いつもなら通り過ぎてしまう小さな橋の周りにも、奈良の長い時間がひっそりと残っています。



