池に背を向ける、小さな神社
奈良公園からならまちへ向かう途中にある猿沢池。その池畔に、小さな「采女神社」があります。
〈興福寺の南に広がる猿沢池。749年、放生会のために造られたと伝わる人工池です。〉
少し不思議なのは、その社殿が猿沢池に背を向けるように建っていることです。
『大和物語』には、帝の寵愛が薄れたことを嘆いた采女が猿沢池に身を投げたという伝説が残されています。
その霊を慰めるために社が建てられましたが、采女は自ら身を投じた池を見るに忍びず、一夜にして社殿を後ろ向きにしてしまった――そんな昔話も伝わっています。
この采女を慰めるため、毎年、中秋の名月の日に行われるのが「采女祭」です。
2026年は9月25日(金)。夕刻には大きな花扇を中心に時代衣装をまとった人々が奈良の町を進み、夜には猿沢池に二艘の管絃船が浮かびます。
雅楽が響くなか、水面をゆっくりと巡る管絃船。
最後には花扇が池へ投じられ、采女の霊が鎮まることを祈ります。
中秋の名月の下で行われる、奈良の秋を代表する祭りです。
猿沢池には、龍が棲んでいた
ところが采女の伝説を調べていると、もうひとつ不思議な物語に出会います。
その昔、猿沢池には龍が棲んでいたというのです。
采女が池に身を投げた後、龍は猿沢池を離れて春日山へ移り、さらに山深い宇陀・室生へ移って、龍穴に棲むようになった――そんな伝承が残されています。
猿沢池から春日山へ。
そして春日山から、遠く室生の山中へ。
地図の上では離れて見える場所が、一匹の龍によってつながります。
龍は、水を遡っていったのだろうか
ここからは、私の勝手な想像です。
猿沢池は自然にできた池ではありません。
天平21年(749年)、興福寺の放生会のために造られた人工の池です。
現在の奈良の町では分かりにくくなりましたが、春日山側から奈良の町へは、かつていくつもの小さな流れが走っていました。現在では暗渠となり、姿を消した流れもあります。
水は山から町へ流れてきます。
ところが、伝説の龍はその逆をたどりました。
猿沢池を離れて春日山へ。そして、さらに山深い室生へ。
まるで、水の流れを遡り、その源を求めて山へ帰っていくようです。
もちろん、龍が水を遡ったというのは私の想像にすぎません。
しかし、奈良盆地では昔から水はとても大切なものでした。大和の各地に水分神社をはじめ、水を司る神々が祀られていることからも、人々が山からもたらされる水をいかに大切にしてきたかがうかがえます。
山から流れてくる水を見ながら、
「この水の源となる深い山のどこかに、龍神が棲んでいる」
昔の人がそんなことを想像したとしても、不思議ではないように思います 
〈現在の猿沢池から東を望む。龍はこの池を離れ、春日山へ移ったと伝えられます。〉
室生の山中に残る「龍穴」
その龍が最後に辿り着いたと伝わるのが、宇陀市室生です。
室生龍穴神社のさらに奥には、「妙吉祥龍穴」と呼ばれる場所があります。
深い山と清流に囲まれたこの一帯では、古くから龍神への信仰があり、雨乞いの祈願のために朝廷から勅使が派遣されたこともありました。
龍穴神社からほど近いところには、室生寺があります。
現在では国宝の金堂や五重塔、「女人高野」として知られる室生寺ですが、その歴史をたどると龍穴神社との深い関係が見えてきます。
〈室生寺。室生の龍神信仰と深い関係を持ちながら発展した山寺です。〉
室生寺の公式案内では、水神を祀る龍穴神社と山麓の室生寺を「陰陽の一対の関係」と説明しています。
そう考えると、
「なぜ、これほど山深いところに、これほど立派なお寺があるのだろう」
という疑問にも、少し違った答えが見えてくるように思います。
室生寺を訪れたなら、龍穴神社へ。
さらに奥の龍穴まで訪ねてみれば、室生という土地そのものの見え方が少し変わってくるかもしれません。
〈妙吉祥龍穴。猿沢池を離れた龍が、最後に棲んだと伝えられる室生の龍穴。〉
龍を追って、もう一度猿沢池へ
室生まで龍を追いかけたところで、もう一度、采女祭の夜の猿沢池へ戻りましょう。
中秋の名月を映した水面を、龍頭・鷁首の二艘の管絃船が巡ります。
祭りの最後には、秋の草花で飾られた花扇が池へ投じられます。
その同じ池に、かつて龍が棲んでいたという。
采女が身を投げた後、龍は猿沢池を離れ、春日山へ。そして最後には遠く室生の山中へ去っていった――。
そんな昔話を知っているだけで、目の前の猿沢池が少し違って見えてきませんか。
池畔を見れば、小さな采女神社は今も池に背を向けています。
奈良には、目の前にあるものを見るだけでは分からない物語が、たくさん隠れています。
その土地の歴史や伝承を少し知り、その向こうにある風景を想像してみる。
すると、同じ場所に立っていても、人それぞれ違った奈良が見えてくるように思います。
猿沢池から、ならまちへ
猿沢池から南へ歩けば、ほどなく元興寺の旧境内である「ならまち」です。
当店「はり新」は、そのならまちを南北に通る古い道・上ツ道沿いにあります。
采女祭をきっかけに、猿沢池から春日山へ、そして宇陀・室生へ。
一匹の龍を追いかけてみると、奈良の町と山、水、寺社が思いがけないところでつながっていました。
そんな物語を頭の片隅に置きながら、奈良を歩いてみる。
目に見えるものだけではなく、その向こうにある風景を想像することも、奈良を楽しむ方法のひとつではないでしょうか。
〈猿沢池から春日灯籠の狭間を抜け「ならまち」へ〉
【猿沢池の五十二段と六道の辻|奈良の人が歩き続けた五十二段】








