法隆寺からならまちへ
― 古代の道「北の横大路」をたどって ―
奈良を代表する古寺、法隆寺。
斑鳩の地に建つ法隆寺は、聖徳太子ゆかりの寺として知られ、金堂や五重塔をはじめとする世界最古の木造建築群を今に伝えています。
現在、法隆寺から奈良市内へ向かうなら、鉄道や国道を利用するのが一般的です。
けれども、まだ鉄道も国道もなかった古代の奈良に目を向けてみると、今とはまったく違った「人の行き来」が見えてきます。
その手がかりとなる道のひとつが、**「北の横大路」**です。
法隆寺のある斑鳩から東へ延びる古い道
奈良盆地には古代、南北に延びる三本の大きな道がありました。
東から、
上ツ道(かみつみち)
中ツ道(なかつみち)
下ツ道(しもつみち)
です。
これら三道を東西に横切る道としてよく知られているのが、現在の桜井から橿原・八木方面へ続く横大路です。
ところが、それよりずっと北にも東西方向の古い道がありました。
それが北の横大路です。
北の横大路は、法隆寺のある斑鳩方面から奈良盆地を東へ延び、下ツ道、中ツ道、上ツ道という三本の南北道と交わりながら、櫟本・和爾下神社付近へと至ります。
古代の奈良盆地には、南北の道だけでなく、それらを横につなぐ東西の交通もあったのです。
北の横大路と古代の主要道路。斑鳩・法隆寺方面から東へ延び、下ツ道・中ツ道・上ツ道と交わって、和爾下神社付近へ至ります。
この地図を見ると、現在の道路地図からは想像しにくい、古代奈良の交通の姿が見えてきます。
なぜ、斑鳩と奈良盆地東部を結ぶ道があったのでしょう
北の横大路がいつ、どのような経緯で成立したのか、そのすべてが明らかになっているわけではありません。
しかし、その道筋は興味深いものです。
西には斑鳩、さらに龍田を経て河内方面へ向かう交通路。
東には櫟本・和爾の地域。
その間を横切るように、上ツ道・中ツ道・下ツ道という奈良盆地の南北交通路があります。
つまり北の横大路は、
河内・龍田方面
― 斑鳩・法隆寺付近
― 下ツ道
― 中ツ道
― 上ツ道
― 櫟本・和爾
という、奈良盆地北部を東西に結ぶ交通の一部として見ることができます。
法隆寺だけを目的とした道というよりも、人や物が河内と大和を行き来する、より大きな交通の流れの中に斑鳩があったのでしょう。
東の端には、古代豪族・和邇氏ゆかりの地
さらに興味深いのは、北の横大路の東端にあたる櫟本・和爾下神社周辺です。
この一帯は、古代の有力豪族**和邇氏(和珥氏)**ゆかりの地域として知られています。
周辺には東大寺山古墳群や和爾下神社古墳など、古墳時代の歴史を伝える遺跡も残されています。
北の横大路と和邇氏との直接的な関係が明らかになっているわけではありません。
それでも、
なぜ斑鳩方面から延びる東西の道が、和邇氏ゆかりの櫟本付近へ至るのか。
地図を眺めていると、そんな疑問も浮かんできます。
国家によって道路網が整えられる以前から、この地域には人々が行き来する何らかの交通の流れがあったのかもしれません。
古代の道をたどる面白さは、現在残る道筋から、かつての人々の往来を想像できるところにもあります。
実際に「北の横大路」を歩いてみました
私自身、この北の横大路を実際に歩いたことがあります。
最初は、法隆寺近くから東へ向かいました。
JR大和小泉駅近くまで歩きましたが、その先は人が安全に歩ける道がほとんどなく、途中で断念しました。
後日、今度は反対側の和爾下神社付近から西へ向かい、中ツ道付近まで歩いてみました。
ところが、こちらも歩道のない道を大型トラックが行き交う区間があり、再び途中で断念することになりました。
古い街道というと、昔ながらの細い道が静かに残っている姿を想像します。
しかし北の横大路は、少し違いました。
古代から人々が通ってきた場所だからこそ、その後も道路として使われ続け、現代の交通路の中へ取り込まれていった。
そう考えると、
「古道が消えてしまった」のではなく、「道として生き続けたために、古道らしく見えなくなった」
とも言えるのかもしれません。
法隆寺と、ならまちを「古代の道」でつないでみる
法隆寺と奈良市のならまち。
現在の観光地図では、少し離れた二つの場所です。
しかし、古代の道路網を重ねてみると、別のつながりが見えてきます。
法隆寺のある斑鳩方面から東へ延びた北の横大路は、奈良盆地を南北に走る上ツ道・中ツ道・下ツ道と交わっていました。
そのうち、最も東を走るのが上ツ道です。
上ツ道は桜井方面から奈良盆地東部を北へ延び、後の平城京へとつながる重要な南北交通路となりました。
そして現在、その古い道筋を受け継ぐ道のひとつが、元興寺旧境内のならまちを通っています。
当店「はり新」は、その上ツ道沿いにあります。
法隆寺と当店が一本の道で直接結ばれているわけではありません。
けれども古代の道をたどれば、
法隆寺・斑鳩
→ 北の横大路
→ 上ツ道
→ 奈良・ならまち
というつながりを見ることができます。
飛鳥の時代から、奈良の時代へ
法隆寺を訪ねると、飛鳥時代から続く建築や仏像を今も目の前に見ることができます。
そこから奈良市へ移動すれば、平城京、元興寺、興福寺、東大寺へと、また違った時代の奈良が広がります。
その歴史をつないだのは、都や寺院だけではありません。
人が歩き、物が運ばれ、文化が伝わった**「道」**もまた、大和の歴史をつないできました。
法隆寺を訪ねたあと奈良市へ向かわれる際には、現在の道路の下に、かつて斑鳩と奈良盆地を結んだ古い交通の道筋があったことを、少し思い出してみてください。
いつもの奈良の地図が、少し違って見えるかもしれません。
法隆寺から、ならまちへ
法隆寺から奈良市内へ移動され、元興寺や興福寺、奈良公園を散策される際には、ならまちにもぜひ足を延ばしてみてください。
はり新は、元興寺旧境内の町並みが残るならまち、古代の道・上ツ道の道筋に面しています。
築約250年の町家で、大和の食材を取り入れた料理をご用意しております。
古代の寺院を訪ね、古い道の記憶をたどり、ならまちの町家へ。
法隆寺から奈良へ。
距離だけではなく、「道」と「時間」で奈良をつないでみる旅も、ひとつの奈良の楽しみ方ではないでしょうか。
