【唐古・鍵遺跡を歩く|弥生のムラから今の田原本へ】

唐古・鍵遺跡を歩く|弥生のムラから今の田原本へ

奈良の歴史というと、古墳や古いお寺、仏像などを思い浮かべることが多いと思います。

けれど、それよりもずっと前。

まだ藤原京も平城京もなかった時代、奈良盆地にはすでに多くの人々が集まって暮らす、大きなムラがありました。

田原本町にある唐古・鍵遺跡です。

現在は史跡公園として整備され、広々とした園内を歩きながら、2000年以上前の奈良を想像することができます。

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唐古・鍵遺跡のシンボルとなっている復元楼閣。出土した土器に描かれた楼閣の絵などをもとに復元されています。〉

 

2000年以上前の大きなムラ

唐古・鍵遺跡でまず目を引くのが、屋根に渦巻き状の飾りを持つ復元楼閣です。

その姿の手掛かりとなったのは、遺跡から出土した土器に描かれていた建物の絵でした。

2000年以上前の人が土器に描いた一枚の絵から、当時の建物を想像する。唐古・鍵の面白さを象徴する建物だと思います。

しかし、このムラが大きかったことを物語るものは楼閣だけではありません。

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〈約2200年前の大型建物跡。発掘された柱穴の位置から、その大きさを実感できます。〉

 

唐古・鍵は、いくつもの濠に囲まれた大規模な環濠集落でした。大型建物の跡をはじめ、多くの井戸や溝なども見つかっています。

では、なぜこの場所に、これほど大きなムラが生まれたのでしょう。

水とともに暮らした弥生の人々

唐古・鍵遺跡がある田原本は、奈良盆地中央部の平坦な土地です。

昭和11・12年(1936・37)の唐古池の発掘では木製農耕具などが出土し、弥生時代の稲作を考えるうえでも重要な遺跡となりました。

唐古・鍵考古学ミュージアムには、弥生時代の周辺景観を想像した復元模型があります。

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唐古・鍵考古学ミュージアムの復元模型。環濠集落の周囲に河川や水田が広がる景観が表現されています。

水があり、平らな土地があり、そこで米を作る。

多くの人々を養うことのできる農耕が、この大きなムラを支えたのでしょう。

模型を眺めていると、遺跡だけではなく、当時の人々が見ていた「土地」そのものまで想像したくなります。

西に見える二上山

私が唐古・鍵遺跡を訪れたとき、なぜか気になって仕方がなかったのが、西の遠くに見える二上山でした。

「唐古・鍵で弥生文化が栄えていた頃、あの山の辺りでは何が起きていたのだろう」

そんなことを考えたのですが、実は唐古・鍵と二上山はつながっていました。

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〈西に見える二上山。石器の材料となった二上山産サヌカイトが、唐古・鍵まで運ばれていました。〉

 

唐古・鍵遺跡からは、二上山産のサヌカイトが数多く出土しています。

2000年以上前、重い石をどのようにここまで運んだのでしょう。

詳しい経路は分かりません。それでも、唐古・鍵が孤立したムラではなく、人や物が行き交う交流の中にあったことが分かります。

二上山とサヌカイトについては、それだけでも面白い話なので、また別の機会にご紹介したいと思います。

下ツ道から国道24号へ

人や物の移動を考えていると、もう一つ面白いことに気付きます。

時代が下ると、唐古・鍵遺跡の近くには奈良盆地を南北に貫く古代の幹線道路**「下ツ道」**が通るようになります。

そして現在、その近くを走るのが国道24号です。

父からは以前、

「昔の下ツ道や上ツ道は自動車を通すには細かった。トラック輸送が増えると、古い道を広げるより、並行して新しい道を造る必要があった。それが国道24号や国道169号だった」

と聞いたことがあります。

道路史として両者が直接そのような関係で計画されたとまでは確認できませんが、現在の国道24号が、物資輸送から通勤、買い物まで、奈良盆地で暮らす私たちの生活を支える大動脈となっていることは実感します。

そして近年、高速道路のジャンクションに付けられた名前が「郡山下ツ道ジャンクション」でした。

初めて聞いたときの私の第一声は、

「いいなぁ、下ツ道は。どこかに上ツ道の名前も付けてくれないかなぁ」

でした。

古代の道の名前が、現代の高速道路に再び現れる。なんとも奈良らしい名前だと思います。

道の姿は変わっても、人が行き、物が運ばれる。

唐古・鍵を歩いていると、そんな奈良盆地の長い「道」の歴史まで想像したくなります。

そして、今も田畑が広がる

もう一度、唐古・鍵の周囲に目を向けてみます。

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〈唐古・鍵遺跡周辺に広がる現在の田園風景。今も田原本らしい農の風景が広がっています。〉

 

弥生時代の景観復元模型には水田がありました。

そして2000年以上が過ぎた現在も、唐古・鍵の周囲には田畑が広がっています。

もちろん、弥生時代の農業がそのまま現在まで続いている、という意味ではありません。

それでも、奈良盆地中央部の平坦な土地で、人々が作物を育てている。その風景を見ると、この土地が持つ豊かさを感じます。

料理をする私にとって田原本は、遺跡のある町であると同時に、おいしい農産物が採れる土地でもあります。

その一つが、田原本町味間地区で受け継がれてきた「味間いも」です。

平成26年(2014年)に「大和の伝統野菜」に認定された里芋で、大ぶりで肉質はきめ細かく、何より粘りが強い。私も好きな、おいしい里芋です。

 

唐古・鍵から、現在の田原本へ

史跡公園のすぐ隣には、道の駅 レスティ唐古・鍵があります。

弥生時代の大きなムラを歩き、唐古・鍵考古学ミュージアムで当時の暮らしを知る。そして周囲に広がる田畑を眺め、最後に現在の田原本の農産物や特産品に触れる。

そんな順番で巡ってみるのも面白いと思います。

水のある土地で米を作る。

遠くから必要な物を運ぶ。

人が集まり、物が動く。

そして2000年以上が過ぎた今も、この土地では作物が育てられ、すぐそばの国道24号を多くの人や物が行き交っています。

遺跡を見るだけではなく、その土地を見る。

 

唐古・鍵は、そんな奈良の楽しみ方ができる場所だと思います。

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