【山の辺の道で知った、失われた大寺院「内山永久寺」】

奈良国立博物館で開催されている特別展「南都仏画―よみがえる奈良天平の美―」。

今回の展覧会で「内山永久寺」という名前を初めて聞いた、という方も多いのではないでしょうか。

それも無理はないと思います。

かつて奈良にこれほど大きな寺院がありながら、今、その壮大な伽藍を見ることはできないからです。

私自身も若い頃には、内山永久寺というお寺を知りませんでした。

「こんな寺が奈良にあったのに、知らなかった」

当店には、奈良の文化財にとても詳しい若いスタッフがいます。

その知識には、私もたびたび驚かされます。

今回も私より先に「南都仏画展」を訪れ、法隆寺金堂壁画第6号壁の最新の復元画像や四天王像、曼荼羅など、いろいろな感想を聞かせてくれました。

そんな彼女が、とりわけ強い衝撃を受けた様子だったのが「内山永久寺」でした。

文化財についてこれほど詳しいのに、今回初めて知ったというのです。

これほど荘厳な寺院が奈良に存在したこと。それが主として明治初期の廃仏毀釈の影響によって失われ、今では往時の姿を見ることができないこと。それでも素晴らしい寺宝が残され、今回の展覧会で奈良へ帰ってきたこと。

文化財についてよく知っているからこそ、

「こんなに大きなお寺があったのに、私は知らなかった」

ということ自体が、大きな驚きだったのかもしれません。

わずか2分で、内山永久寺の一生を見せる

今回の奈良国立博物館の見せ方も、とても印象に残りました。

内山永久寺について、約2分間の短いアニメーションが用意されています。

内山永久寺が生まれる。

大きな寺院へと発展し、栄える。

そして、消えていく。

その長い歴史をわずかな時間で見せたあと、

寺院は失われても、素晴らしい寺宝は残された。

と、私たちを実物の文化財へと導いてくれます。

私は、なんとも粋な計らいだと思いました。

先にそこにあった寺院の一生を知り、そのうえで失われた寺院から生き残った寺宝を見る。すると目の前にある文化財の見え方まで変わってきます。

もしかすると、奈良博があの2分間のアニメーションに込めたものを、当店の若いスタッフはそのまま受け取ったのかもしれません。

私が内山永久寺を知ったのは、山の辺の道でした

一方、私が内山永久寺を知ったきっかけは博物館ではありません。

「山の辺の道」です。

山の辺の道というと、大神神社、桧原神社、長岳寺、石上神宮などを結ぶ南側のルートを歩かれる方が多いと思います。

しかし、石上神宮からさらに奈良方面へ向かう北ルートにも道は続いています。

こちらは南ルートに比べて歩く人が少なく、その途中に内山永久寺跡があります。

内山永久寺は永久2年(1114年)、鳥羽天皇の勅願によって創建されたと伝わり、後には「西の日光」と称されるほどの大寺院となりました。

ところが、今そこに壮大な伽藍はありません。

私がこの辺りを歩くときは、不思議なくらい人に会いません。

気がつくと、いつも一人です。

静かな山あいに池が残り、

「ここに、あれほど大きなお寺があったのか」

と思いながら歩く。

私はここへ来ると、いつも少しもの悲しい気持ちになります。

今回、奈良博で内山永久寺の寺宝を見ながら、あの静かな場所を思い出しました。

何もない寺跡で知った「内山永久寺」という名前と、博物館の展示室にある素晴らしい文化財。

二つが自分の中でつながったように思いました。

奈良を歩いていると、とんでもないものに出会う

考えてみれば、こういうことは奈良を歩いていると時々あります。

何でもないところで、

「これは何だろう?」

と立ち止まり、後から調べてみると、とんでもない歴史につながってしまう。

例えば、奈良公園の浮見堂近く、荒池園地には崩れた古い土塀が残っています。

知らなければ、「どうして奈良公園の中に、こんな崩れかけた塀があるのだろう?」と思うだけかもしれません。

ところが、この辺りにはかつて興福寺の子院があり、この土塀もそうした旧子院に関係する遺構と考えられています。

鹿が歩き、観光客が浮見堂へ向かう現在の奈良公園の中に、昔の奈良がひっそりと残っています。

「お地蔵さんがゴロゴロ出てくるから、遊んでは駄目」

奈良市高畑町の「頭塔」も思い出します。

現在では奈良時代につくられた土塔として国の史跡に指定されていますが、私が昔聞かされていた話は、もっと素朴なものでした。

「お地蔵さんがゴロゴロ出てくるから、何かが埋まっているよ。あの場所で遊んでは駄目だからね」

詳しいことが分からない時代にも、そこに暮らす人たちは、

「ここには何かある」

と感じ、それを次の世代に伝えていたのでしょう。

奈良では、不自然に「こんもり」と盛り上がった場所を調べてみたら古墳だったり、何気なくある大きな石から、かつてそこにあった寺院へ話がつながったりすることがあります。

史跡が必ずしも、

「私は史跡です」

という顔をして待っているわけではありません。

これも奈良を歩く面白さだと思います。

実は、当店の庭にも元興寺の礎石があります

そして、この話は当店「はり新」にもつながります。

当店は世界遺産・元興寺のすぐ近く、ならまちにあります。

その庭に、元興寺の礎石があります。

ただし、ご覧になってもすぐには分からないでしょう。

礎石の上に、蹲踞が据えられているからです。

この石については、曾祖父・勝太郎の代から「元興寺の礎石だ」と、家族の間で代々聞かされてきました。

昔、この石を「譲ってほしい」という人が何度も訪れたそうです。

曾祖父はそのたびに断り、とうとう持っていかれないように、礎石の上に蹲踞を据えて隠してしまった。

そう伝えられています。

今も、そのままです。

近くの奈良町物語館にも、元興寺金堂の礎石が残されています。

何も知らずに見れば、蹲踞の下にある大きな石です。

けれども、その由来を知れば、今ここにある「ならまち」と、その前にこの土地に広がっていた元興寺とがつながります。

建物がなくなることと、歴史がなくなることは同じではない

内山永久寺は、もうありません。

けれども、その場所は残り、寺宝も残っています。

奈良公園には、失われた寺院の記憶を伝える古い土塀が残り、ならまちの町家の庭には元興寺の礎石が残っています。

そして、人から人へ伝えられてきた話もあります。

建物がなくなることと、歴史がなくなることは、同じではないのでしょう。

今回の「南都仏画展」は、そんなことまで考えさせてくれる展覧会でした。

今回初めて「内山永久寺」という名前を聞いた。

それでいいのだと思います。

私も若い頃は知りませんでした。

文化財について驚くほど詳しい当店の若いスタッフも、今回初めて知りました。

私の場合は、山の辺の道を歩くことで知りました。

彼女の場合は、奈良国立博物館でした。

そして、このページを読んで初めて知ったという方もいらっしゃるかもしれません。

入口は、それぞれ違っていい。

できれば今回の「南都仏画展」で、失われた寺院から残されたものを実際に見ていただきたいと思います。

そして、いつか山の辺の道の北ルートを歩く機会があれば、内山永久寺跡にも立ち寄ってみてください。

何もないように見える静かな場所が、展覧会を見る前とは少し違って見えるかもしれません。

奈良では、一つのことを知るだけで、いつもの風景が突然違って見えることがあります。

だから私は、奈良を歩くのが面白いのだと思います。