正倉院より300年前のシルクロード|新沢千塚古墳群を歩く
正倉院展が近づくと、奈良では「シルクロードの終着点」という言葉を耳にする機会が増えてきます。
遠い西方の文化が、中央アジア、中国大陸、朝鮮半島などを経て東へ伝わり、やがて奈良へ。
正倉院に残された宝物を見ていると、奈良が遠い世界とつながっていたことを実感します。
ところが、その正倉院より300年ほど前の大和にも、すでに遠い西方世界との交流を感じさせる品々が届いていました。
その痕跡を今に伝える場所の一つが、橿原市にある「新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)」です。
「これも古墳?」と思う不思議な風景
新沢千塚古墳群には、600基を超える古墳があります。
「そんなにたくさんの古墳がある」と聞くと、大きな墳丘がいくつも並んでいる光景を想像するかもしれません。
ところが、初めて現地を訪れると、おそらく少し驚きます。
古墳というより、自動車一台分ほどに見える小さな盛土が、丘の斜面に所狭しと並んでいるのです。
「これも古墳?」
「あちらの盛り上がりも?」
そんなことを考えながら歩いていると、次から次へと小さな墳丘が現れます。
〈丘の斜面に次々と現れる小さな古墳。「千塚」という名前を実感する新沢千塚ならではの風景です。〉
新沢千塚では4世紀末頃から6世紀末頃まで、およそ200年間にわたって古墳が造り続けられました。
一つ一つは決して大きくありません。
しかし、その小さな古墳が丘陵を埋めるように並ぶ光景には、大きな前方後円墳を見るのとはまったく違った面白さがあります。
〈古墳を遠くから眺めるのではなく、その間を縫うように歩けるのも新沢千塚古墳群の魅力です。〉
古墳の向こうに見える畝傍山
古墳の間を歩きながら目を上げると、畝傍山が見えます。
〈新沢千塚古墳群から望む畝傍山。その麓には神武天皇陵や橿原神宮があります。〉
畝傍山の麓には、初代天皇と伝えられる神武天皇の御陵があり、橿原神宮も鎮座します。
新沢千塚126号墳が造られたのは5世紀後半。
正倉院に宝物が納められるようになる、およそ300年前のことです。
その頃、日本の中心は、このあたりにあったのかもしれません。
足元には無数の古墳。
目の前には畝傍山。
そして、そんな古代大和の一角に造られた小さな古墳から、今度は視線を何千キロも西へ向けたくなるような品々が見つかりました。
小さな126号墳から見つかったもの
古墳群の中に「126号墳」と呼ばれる一基があります。
東西約22メートル、南北約16メートルの長方形墳で、5世紀後半頃に築かれたと考えられています。
決して巨大な古墳ではありません。
ところが、ここから出土した副葬品には驚かされます。
金製の耳飾りや指輪、腕輪、玉類などの装身具。中国東北部や朝鮮半島からもたらされたと考えられる品々。そして、ガラス製の碗と皿。
ガラスの碗と皿は、遠くペルシャ地方、現在のイラン・イラク付近からもたらされたものと考えられています。
〈新沢千塚126号墳に関する展示。小さな古墳から見つかった副葬品は、古代大和と海外との交流を物語ります。〉
先ほどまで歩いていた小さな盛土。
そこから話が突然、ペルシャへと飛んでいくのです。
古墳を歩いた後は「歴史に憩う橿原市博物館」へ
新沢千塚古墳群を訪れるなら、ぜひ一緒に見てほしいのが、古墳群に隣接する「歴史に憩う橿原市博物館」です。
この博物館は、新沢千塚古墳群のサイトミュージアムとしての役割を持ち、橿原市内から出土した資料を通して、この地域の歴史を紹介しています。
〈「歴史に憩う橿原市博物館」の展示室。古墳を歩いた後に見ると、先ほどまで目の前にあった風景と出土品がつながって見えてきます。〉
私がおすすめしたいのは、先に古墳群を歩いて、それから博物館を見る順番です。
丘の上では、「ずいぶん小さな古墳だな」と思っていたものが、博物館へ入るとまったく違って見えてきます。
〈126号墳の出土品から見えてくる古代の東西交流。奈良から視線がユーラシアへと広がっていきます。〉
展示された地図を眺めていると、大和から朝鮮半島、中国大陸、中央アジア、そしてさらに西へと想像が広がります。
もちろん、126号墳に葬られた人物が直接ペルシャへ出掛けたり、ペルシャ人と交易したりしたという意味ではありません。
品物や技術、文化が、人から人へ、地域から地域へと伝わりながら、はるかな距離を移動してきたのでしょう。
小さな古墳の中に、思いがけないほど広い世界がありました。
1500年前にも「アイロン」があった?
126号墳の出土品には、もう一つ興味深いものがあります。
青銅製の「熨斗(のし)」です。
〈新沢千塚126号墳から出土した青銅製の熨斗。現在のアイロンのような用途に使われた道具です。〉
遠い国から伝わった華やかな装身具だけでなく、こうした道具を見ると、1500年ほど前に生きていた人々の暮らしが、少し身近に感じられます。
そして約300年後、正倉院へ
新沢千塚126号墳が築かれたのは5世紀後半。
正倉院に伝わる宝物の中心は、それよりおよそ300年後の奈良時代です。
もちろん、二つを単純に同じものとして考えることはできません。
時代も違えば、品物が大和へ伝わった経緯も異なります。
それでも、新沢千塚を歩き、126号墳の出土品を見たあとで正倉院宝物を思い浮かべると、興味深いことに気づきます。
奈良と遠い世界とのつながりは、正倉院の時代になって突然始まったわけではなかったのです。
正倉院宝物に西方世界の文化を感じるよりも数百年前、大和にはすでに、遠くペルシャ地方からもたらされたと考えられるガラス器が存在していました。
正倉院展を訪れる前に、少しだけ時計の針を巻き戻してみる。
小さな盛土が無数に並ぶ橿原の丘から、遠いペルシャへ。
そして約300年後の正倉院へ。
そんな時間の流れを知ってから正倉院展を見ると、よく耳にする「シルクロードの終着点・奈良」という言葉も、少し違って感じられるかもしれません。
奈良の歴史は、一つの時代だけを見るより、時代と時代をつないでみると、さらに面白くなります。






