失われた大寺を訪ねて ― 本薬師寺跡と畝傍山
下ツ道から古代の歴史を訪ねて
かつて下ツ道を歩いた折、橿原神宮と神武天皇陵に立ち寄り、さらに本薬師寺(もとやくしじ)跡まで足を延ばしたことがあります。
下ツ道からはずいぶん遠回りになりましたが、古代の歴史にどっぷりと浸かる、楽しい寄り道でした。
神武天皇の橿原宮にまつわる建国神話の世界から、天武・持統天皇による藤原京の時代へ。史跡を巡るうちに、頭の中では何百年もの歴史が行き交い、自分だけの歴史ドラマができあがっていきます。
当時の本薬師寺跡周辺にはホテイアオイが栽培され、淡い紫色の花が一面に広がっていました。畦には赤い彼岸花も咲き、美しい秋の風景が広がっていました。
〈かつてホテイアオイが栽培されていた頃の本薬師寺跡周辺。現在、この花畑は見られません。〉
本薬師寺は、現在の奈良市西ノ京にある薬師寺の前身にあたる寺院です。かつては金堂と東西二つの塔を備えた壮大な伽藍が建ち並んでいました。
しかし、現地に残るのは礎石や基壇などの遺構です。飛鳥寺や川原寺のように、古代の寺院をしのばせる建物も少なく、礎石だけを頼りに当時の伽藍を思い描くのは容易ではありません。
ともすれば、美しい花畑を眺めただけで帰ってしまいそうになります。
畝傍山を眺めて
そんな中、ふと目を上げると、畝傍山が美しく見えました。
〈本薬師寺跡周辺から望む畝傍山。ホテイアオイが咲いていた頃の風景。〉
先ほど訪ねた神武天皇陵の背後にそびえる山です。
建物や田畑は時代とともに姿を変えても、畝傍山は千三百年以上前からこの地にそびえています。
天武天皇や持統天皇も、この場所から畝傍山を眺めたことがあったのでしょうか。
そう考えると、何気ない田園風景が少し違って見えてきました。
失われた堂塔の姿を想像することは難しくても、古代の人々が眺めたであろう山並みに、今も目を向けることはできます。
皇后の病気平癒を願った天武天皇
本薬師寺の建立が始まったのは、天武天皇9年(680年)のことです。
天武天皇が、病に倒れた皇后・鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を願い、建立を発願しました。
皇后は回復しましたが、天武天皇は寺院の完成を待たず、686年に崩御します。
その後、持統天皇らによって造営が進められ、698年には伽藍がほぼ完成したと考えられています。
律令国家の形成が進められていた時代、これほど大きな寺院の建立は国家的な事業でした。
しかし、その出発点には、夫が妻の健康を願うという、いつの時代にも変わらない人の思いがありました。
藤原京から平城京へ ― 二つの薬師寺
710年、都は藤原京から平城京へ移されました。
薬師寺も新しい都へとその歴史を受け継ぎ、現在の奈良市西ノ京に薬師寺が造営されました。
ここで興味深いのは、本薬師寺の建物を平城京へ移築したのか、それとも新しく建てたのか、という問題です。
発掘調査によって、平城遷都後も本薬師寺の伽藍が残り、修理を重ねながら平安時代まで維持されていたことがわかっています。
平城京の薬師寺は、本薬師寺の伽藍配置にならって新たに造営されたとする説が有力です。
〈本薬師寺金堂跡に残る礎石群。かつてこの場所に壮大な金堂が建っていました。〉
一方、平城京薬師寺の金堂に安置されている国宝・薬師三尊像については、本薬師寺から運ばれたという説と、平城京で新たに造られたという説があります。
建物は新しく造られたとしても、仏像は移されたのかもしれません。
いずれにしても、平城京に新しい薬師寺が造営された後も、本薬師寺は旧都に残り、長く存続していたのです。
薬師寺と新薬師寺、意外な共通点
奈良を訪れる方から「薬師寺と新薬師寺はどう違うのですか」と尋ねられることがあります。
藤原京の本薬師寺と西ノ京の薬師寺には、遷都に伴う歴史的なつながりがあります。
一方、奈良市高畑町の新薬師寺は、それとは別に建立された寺院です。
新薬師寺は747年、光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒を願って建立したと伝えられています。
本薬師寺は、天武天皇が妻のために。
新薬師寺は、光明皇后が夫のために。
二つの寺院は直接のつながりを持ちませんが、伴侶の病気平癒を願って建立されたという、意外な共通点があります。
藤原京を守った二つの大寺
本薬師寺には、もう一つ重要な役割がありました。
藤原京では、朱雀大路を挟んで西側に本薬師寺、東側に大官大寺という二つの大寺が配置されていました。
どちらも国家と都を支える重要な官寺です。
そして平城京でも、西側には薬師寺、東側には大官大寺の歴史を受け継ぐ大安寺が造営されました。
都が移っても、東西に重要な寺院を配置するという構想が受け継がれたのです。
皇后の病気平癒を願って建立された本薬師寺は、やがて古代国家を支える重要な寺院となりました。
失われた伽藍、変わらぬ山並み
本薬師寺は平城遷都後も藤原京の地に残りましたが、やがて衰退し、壮大な伽藍は失われていきました。
現在、本薬師寺跡は国の特別史跡に指定され、金堂跡や東西の塔跡には礎石などが残されています。
〈本薬師寺西塔跡の心礎。中央には塔の中心柱を支えた突起が残されています。〉
礎石だけが残る風景から、かつての大寺の姿を思い描くのは簡単ではありません。
それでも、畝傍山を眺めていると、天武天皇や持統天皇が生きた時代が少し身近に感じられるような気がします。
建物は失われても、山はそこにあり続ける。
古代の歴史を訪ね歩き、自分だけの歴史ドラマを思い描く。そんな楽しみ方ができるのも、奈良の魅力ではないでしょうか。
そして、藤原京で本薬師寺と対をなしていた大官大寺もまた、壮大な伽藍を失った寺院です。
次は、もう一つの失われた大寺、大官大寺跡を訪ねてみたいと思います。



