大官大寺跡 ― 九重塔の夢を追いかけて飛鳥へ
高さ100メートルの木造塔?
かつて飛鳥の地に、高さ100メートル近い九重塔が建てられようとしていたという話を知りました。
以前、五重塔に関する本を読み、古代の木造建築に興味を持っていた私には、にわかには信じられない話でした。
現代のような重機も材料試験もない時代に、それほど巨大な木造建築を造ることができたのだろうか。
まるで伝説のバベルの塔のようにも思えました。
それなら一度、現地を見てみたい。
飛鳥駅でレンタサイクルを借り、地図で調べておいた大官大寺跡へ向かいました。
〈大官大寺塔跡。かつて巨大な九重塔が計画された場所です。〉
大官大寺跡は、香具山の南側、明日香村小山から橿原市南浦町にかけて広がっています。
現地に着いて、最初に感じたのは「何もない……」ということでした。
当然、巨大な塔も壮麗な金堂も、それらを連想させる痕跡もありません。目の前には、静かな田畑が広がっているだけです。
しかし、塔跡を示す石碑を見つけたとき、不思議と嬉しくなりました。
「ここに九重塔が建っていたのかぁ!」
何もないと思った風景が、想像力を働かせるための真っ白なキャンバスになったのです。
藤原京に造られた国家の大寺
大官大寺は、藤原京の南東に造営された、当時最大級の国家寺院でした。
寺域は東西約205メートル、南北約354メートル。金堂と講堂は、それぞれ正面約45メートルにも及ぶ巨大な建物でした。
そして、金堂の南東には九重塔が計画されていました。
塔の高さは正確にはわかっていませんが、80メートルを超え、100メートル近くに達した可能性も指摘されています。
〈大官大寺跡の現地説明板。発掘調査で明らかになった伽藍の配置がわかります。〉
これほど巨大な塔を造ろうとした古代の人々は、どのような技術と経験を持っていたのでしょうか。大官大寺は、文武天皇の時代に主要な伽藍の造営が進められましたが、711年の火災で焼失しました。発掘調査からは、塔などが建設途中だった可能性も指摘されています。
私が訪ねた田畑の下には、完成を待たずに失われた壮大な寺院の痕跡が眠っているのです。
その歴史は百済大寺へとさかのぼる
大官大寺の歴史をさかのぼると、舒明天皇が造営を始めた百済大寺に行き着きます。
現在の桜井市にある吉備池廃寺跡が、その有力な比定地です。
〈吉備池廃寺跡。百済大寺の有力な比定地で、巨大な塔と金堂の跡が発見されています。〉
百済大寺にも、九重塔が造営されたと伝えられています。吉備池廃寺跡では巨大な塔や金堂の基壇が発見され、当時の国家寺院の規模をうかがうことができます。
その後、寺院は天武天皇の時代に高市大寺として整備され、大官大寺と改称されました。
ただし、現在の大官大寺跡で発見された伽藍は文武天皇の時代のものと考えられ、それ以前の高市大寺は別の場所にあったとみられています。
寺の名前も場所も変わりながら、国家の大寺としての歴史が受け継がれていったのです。
巨大な塔へのこだわりは、奈良の大安寺へ
710年に平城京へ遷都すると、大官大寺の歴史は、現在の奈良市にある大安寺へと受け継がれていきます。
平城京の大安寺には、東西二基の七重塔が建てられました。
九重塔から七重塔へと姿は変わりましたが、巨大な塔を重視する伝統が受け継がれたようです。
振り返れば、百済大寺の九重塔、藤原京の大官大寺の九重塔、そして平城京の大安寺の東西七重塔。
時代と場所が変わっても、なぜこれほど大きな塔を造ろうとしたのでしょうか。
そこには仏教への信仰とともに、国家の威信を示すという意味もあったのでしょう。
現在、大安寺の境内南側には七重塔の跡が残されています。飛鳥から奈良へと続く寺院の歴史を、実際に訪ねて確かめることができます。
古代の塔については、また改めて
日本で最初期に造られた法興寺(飛鳥寺)の塔は、596年に完成し、1196年に焼失するまで約600年間存続したと伝えられています。
その後、わずか数十年のうちに、百済大寺では巨大な九重塔の造営が始まりました。
古代の技術者たちは、どのような知識と経験をもとに、これほど大きな木造建築に挑んだのでしょうか。
塔の構造や耐震性、そして古代日本の巨塔については、また別の機会に取り上げてみたいと思います。
失われた大寺を訪ねる楽しみ
最初は、九重塔の大きさを確かめてみたいと思っただけでした。
ところが、大官大寺跡で出会ったのは、巨大な塔ではなく、何もない風景でした。
それでも、塔跡の石碑を見つけたときの嬉しさは、今も覚えています。
この体験がきっかけとなり、山田寺跡、川原寺跡、本薬師寺跡など、失われた古代寺院を訪ねる楽しさを知りました。
奈良には、建物が失われても、その場所に立つことで往時の姿を想像できる史跡が数多くあります。
残された建物を見るだけでなく、失われた風景を想像しながら歩く。
それもまた、奈良の歴史散策の楽しみ方ではないでしょうか。


