秋の奈良、西の空を眺める
古都の夕焼けを歩く
奈良の秋といえば、紅葉を思い浮かべる方が多いかもしれません。
けれど、もうひとつ楽しみにしていただきたいものがあります。
夕焼けです。
夏の暑さが少しずつ和らぎ、空が高く感じられるようになる頃。奈良の西の空が赤や橙色に染まる美しい日があります。
東大寺二月堂から奈良盆地を眺める。
興福寺の堂宇が夕空の中でシルエットになる。
猿沢池の水面に夕暮れの色が映る。
少し足を延ばして平城宮跡へ行けば、大きな空の下に大極殿が浮かび上がります。
昼間とは少し違う奈良を見ることができる時間です。
二月堂――良弁杉の向こうに沈む夕日

〈夕暮れの東大寺二月堂。良弁杉の向こうに広がる西の空は、私の好きな奈良の夕景のひとつです。〉
奈良に暮らす者にとって、東大寺二月堂から眺める夕日は昔からよく知られた景色です。
二月堂から西を向けば、眼下に東大寺の伽藍、その向こうには奈良の町、さらに遠く奈良盆地を囲む山々まで見渡すことができます。
私がとりわけ好きなのが、良弁杉の向こうに広がる夕焼けです。
日が傾くにつれて木々や建物は次第に影となり、西の空だけが赤く染まっていきます。
最近では、この夕景も外国人観光客に知られるようになったのでしょうか。日没が近づくと、夕日を待つ人たちが二月堂に集まってくるようになりました。
昼間の二月堂とは、また違った時間が流れます。
真西に夕日が沈む頃
〈夕日を撮ろうと二月堂へ上がった日は、あいにくの雨。濡れた石畳だけを撮って帰りました。〉
二月堂の夕景には、特に美しいと思う時期があります。
春分と秋分の頃、太陽はほぼ真西へ沈みます。
西へ大きく開けた二月堂では、低くなった夕日の光が差し込み、石畳にも光が反射します。夕日に照らされた石畳は実に美しいものです。
私も一度、その景色を写真に収めようとカメラを持って出掛けました。
ところが、その日はあいにくの雨。
夕焼けを撮ることはできず、残ったのがこの濡れた石畳の写真です。
同じように太陽が真西に近いところへ沈む季節は3月にもあります。
しかし、3月前半の二月堂では修二会が営まれ、夕刻にはお松明が上がります。期間中は二月堂周辺で立入りが制限される時間帯もあります。
そう考えると、二月堂で西の夕日をゆっくり眺めるなら、秋分を迎える9月下旬は特別な季節なのかもしれません。
そこから10月へ。
日の入りは少しずつ早くなり、太陽の沈む位置も変わりながら、奈良は本格的な秋を迎えます。
〈後日に改めて夕焼けを撮影できました〉
平城宮跡――1300年前の夕焼けを想像する

〈夕暮れの平城宮跡。現代のものがほとんど見えない景色を眺めていると、1300年前の夕暮れを想像したくなります。〉
夕焼けを見る場所として、もうひとつ好きなのが平城宮跡です。
広い平城宮跡に立つと、奈良市内にいることを忘れてしまいそうなほど、大きな空が広がっています。
この大極殿の写真を見返していて、面白いことに気づきました。
遠く生駒山の山頂にはアンテナが見えます。しかし、それを除けば、写真の中には現代を強く感じさせるものがほとんど写っていません。
もちろん、現在の第一次大極殿は復原された建物です。
それでも、少し想像してみたくなります。
1300年前、平城宮にいた人々も、この西の空が赤く染まっていく様子を眺めていたのではないでしょうか。
建物も町も、人々の暮らしも変わりました。
けれど、奈良盆地を囲む山々と、その向こうへ沈んでいく太陽は、1300年前にもそこにありました。
奈良では、目の前の景色から昔の風景を想像してみるのも、楽しみ方のひとつだと思います。
古寺がシルエットになる時間
〈夕焼けを背にした興福寺南円堂。細部が見えなくなることで、かえって美しい屋根の輪郭が浮かび上がります。〉
夕暮れになると、昼間には主役だった寺院の建物が黒い影へと変わります。
興福寺南円堂の大きな屋根も、夕焼けを背にすると美しいシルエットになります。
細かな建築を見る時間ではありません。
屋根の反りや建物の輪郭だけが夕空に浮かび上がる。
不思議なことに、細部が見えなくなったことで、かえって「奈良のお寺らしい形」が強く感じられることがあります。
夕焼けは、古い建物を美しく見せてくれる背景なのかもしれません。
猿沢池まで下りてくる頃
〈夕暮れの猿沢池。空の色が水面にも映り、昼間とは違った奈良の表情を見せてくれます。〉
興福寺から五十二段を下れば、猿沢池です。
水のある猿沢池では、西の空だけでなく、その色が水面にも映ります。
興福寺境内で見上げていた夕焼けが、ここでは池を含めた風景へと変わります。
やがて赤かった空は少しずつ青みを帯び、奈良の町には灯りがともり始めます。
そして猿沢池から南へ歩けば、ならまちはすぐそこです。
夕暮れになると、鹿も帰っていく
夕焼けの写真を見返していて、ふと気づいたことがあります。
私は奈良公園で何度も夕焼けを撮っていますが、不思議とこの時間になると、鹿に撮影を邪魔された記憶がほとんどありません。
昼間なら、こちらの都合などお構いなしにカメラの前を横切っていく鹿たちなのですが(笑)。
奈良公園の鹿には、それぞれ採食する場所や休息する場所、夜を過ごす「泊まり場」があり、夕方になると泊まり場へ移動していきます。
夏に奈良国立博物館周辺などで見られる「鹿だまり」も、日暮れ前にはいつの間にか解散しています。
人が西の空を眺め始める頃、鹿たちも一日の居場所から、それぞれの夜を過ごす場所へ帰っていく。
だからなのでしょうか。
夕暮れの奈良公園には、昼間とは少し違った静けさがあります。
そして、もう少し暗くなってから歩いていると、時折、頭上をムササビが滑空していくこともあります。
多くの人は足元や前を見ながら歩いているので、案外気づかないものです。
鹿が帰り、人の姿も少なくなった頃、今度は夜の奈良公園に暮らす生き物たちの時間が始まります。
秋の奈良は、夕暮れまで
〈日が沈み、灯りがともり始める二月堂。奈良観光の一日の終わりに眺めてほしい景色です。〉
奈良のお寺は夕方になると拝観を終えるところが多く、それに合わせるように観光客も駅へ向かい始めます。
でも秋の奈良では、もう少しだけ西の空を眺めてみてはいかがでしょう。
二月堂では、良弁杉の向こうに沈む夕日を。
平城宮跡では、1300年前の人々が見たかもしれない夕暮れを。
興福寺では、夕空に浮かぶ古寺のシルエットを。
そして猿沢池では、水面に残る最後の光を。
同じ西の空でも、見る場所によって奈良の夕暮れはずいぶん違います。
太陽が西の山へ沈むことだけは、昔も今も変わりません。
「昔の奈良の人たちも、こんな夕焼けを見ていたのだろうか」
そんなことを想像しながら歩いてみる。
それも、秋の奈良の楽しみ方のひとつだと思います。





