私が何度でも会いたくなる、奈良の仏さま
奈良で生まれ育ちながら、若い頃の私は仏像にほとんど興味がありませんでした。
お寺も仏像も、奈良にいれば身近にありすぎるものだったのかもしれません。子供の頃からお寺へ行く機会はあっても、自分から仏像を見に行こうなどとは考えたこともありませんでした。
そんな私が寺を巡るようになったきっかけは、生駒山の宝山寺でした。
幼い頃から仲の良かった友人が、お正月になると必ず家族で宝山寺へお参りしていました。私の周りでは春日大社か近所の氏神様へ初詣に行く家が多かったので、「なぜ宝山寺なんだろう」と、そのことだけが大人になっても妙に記憶に残っていました。
ある春の日、それを思い出して初めて宝山寺を訪ねました。
そこで目にとまったのが御朱印帳でした。
今ほど御朱印巡りが一般的ではなかった頃のことです。最初は「せっかく買ったのだから埋めてみよう」という、今から思えば少々スタンプラリーのような感覚でした。
御朱印をいただくために、あちらのお寺、こちらのお寺へ。
ところが、そうして寺を巡っているうちに、いつしか御朱印よりも、お寺そのもの、そしてそこにいらっしゃる仏さまを見るようになりました。
そして気づきました。
仏像にも、自分がなぜか惹かれる方がいらっしゃる。
御朱印帳がいっぱいになってからも、今度は手ぶらで寺巡りを続けるようになりました。
これまでたくさんの仏さまにお会いしました。その中でも、機会があれば何度でもお会いしたいと思う方がいます。
海龍王寺の十一面観音さん。
安倍文殊院の渡海文殊さん。
興福寺南円堂の不空羂索観音さん。
そして、東大寺戒壇院の廣目天さん。
なぜこの四尊なのかと尋ねられても、実は自分でもよく分かりません。
ただ、不思議なことに、四尊とも初めてお会いした時のことをよく覚えています。
「美しい」と思った十一面観音さん ― 海龍王寺
海龍王寺という名前は、ずっと以前から知っていました。
ならまちから奈良ファミリーの方へ車で向かう途中、一条通の先に「海龍王寺」「法華寺」と書かれた案内があります。
ですから、お寺の名前だけは昔から知っていました。
寺巡りを始めてから、一つ困ったことがありました。
奈良のお寺では、ゴールデンウィークなどに合わせて特別公開が行われます。
ところが世間がお休みの時は、料理屋にとっては仕事の時。行きたいと思っても、連休中はなかなか店を休めません。
連休が終わり、ようやく時間ができた頃には、特別公開も終わっています。
そんなある年、海龍王寺だけが公開期間を延長されていることを知りました。
「前から名前は知っているし、一応行っておこうか。」
今から思えば、ずいぶん失礼な動機で訪ねたものです。
ところが、お堂で十一面観音さんにお会いして驚きました。
色彩が美しく残った、とても美しい仏さまでした。
それまでにも寺を巡り、いろいろな仏像を拝観していたはずなのですが、仏像を見て素直に「美しい」と感じたのは、この時が初めてだったように思います。
なぜ美しいと思ったのか。
そう尋ねられると、やはりうまく説明できません。
ただ、もう一度お会いしたいと思いました。
その時、重元和尚と少しお話しできたことも、海龍王寺の印象を深くしてくれました。
道路標識で名前だけ知っていたお寺。
「一応行っておこう」と訪ねたその場所で、忘れられない仏さまに出会いました。
〈海龍王寺本堂。「一応行っておこう」と訪ねたお寺で、初めて仏像を素直に「美しい」と感じる十一面観音さんに出会いました。〉
「こりゃ凄いぞ」 ― 安倍文殊院・渡海文殊
安倍文殊院にも、実は子供の頃に少しご縁がありました。
中学受験の際だったと思います。お参りして、お守りと鉛筆を買ってもらいました。
ただ、その時はお堂の中には入りませんでした。
実際に文殊さんにお会いしたのは、それからずっと後、寺巡りを始めてからです。
その日は車で、談山神社、聖林寺、そして安倍文殊院と巡ったと記憶しています。
事前にインターネットで写真も見ていました。
ところが、お堂に入って実物を目にした瞬間、
「こりゃ凄いぞ。」
思わず声が漏れました。
写真を見て予習していたはずなのに、そのスケールをまったく分かっていなかったのです。
文殊菩薩さんを中心とする五尊の群像。その中心で文殊菩薩さんは獅子に乗っていらっしゃいます。
最初に目を奪われたのは、その獅子でした。
今にも動き出しそうなほどの姿です。
けれども、獅子だけではありません。
五尊すべてが素晴らしい。
何がそんなに素晴らしいのかと尋ねられると、これまた説明に困ります。
ただ、見入ってしまうのです。
初めてお会いした時も、ずいぶん長い時間、その場で見つめていたことを覚えています。
後年、奈良国立博物館でもお目にかかった記憶があります。
それでも私にとって渡海文殊さんは、やはり安倍文殊院のお堂でお会いしたい仏さまです。
お寺を訪ね、お堂に入り、あの大きな群像が目の前に現れる。
そこまで含めて、私の好きな渡海文殊さんなのだと思います。
〈安倍文殊院。写真で予習して訪れたのに、実物を前にすると「こりゃ凄いぞ」と思わず声が漏れました。〉
「中にこんな仏さまが居たの?」 ― 興福寺南円堂・不空羂索観音
興福寺の南円堂。
奈良で育った私にとって、子供の頃から何度その前を通ったか分からないほど身近なお堂です。
ところが、その中に入ったことはありませんでした。
初めて拝観したのは、大人になって寺巡りを始めてからです。
そして不空羂索観音さんと対面して、
「え? 中にこんな仏さまが居たの?」
と思いました。
奈良には、東大寺法華堂(三月堂)や不空院にも不空羂索観音さんがいらっしゃいます。
けれども、私には南円堂の不空羂索観音さんはまったく違って見えます。
大きく、どっしりとして、とにかく力強い。
私の中では「ヘビー級の観音さま」です。
不空羂索観音さんが手にする「羂索」は、人々を救い取ることを表すものだといいます。
南円堂のこの方の羂索に引っかけてもらえたなら、力任せにぐいっと引き上げてもらえそうです。
子供の頃から見慣れていた南円堂。
その扉の向こうに、こんな仏さまがずっといらっしゃった。
奈良に長く暮らしていても、扉を開けて初めて出会う奈良があります。
〈興福寺南円堂。子供の頃から何度となく前を通ってきたお堂。その中に、あんなに力強い不空羂索観音さんがいらっしゃるとは、大人になるまで知りませんでした。〉
子供の頃は怖かった廣目天さん ― 東大寺戒壇院
四尊の中で、廣目天さんだけは少し事情が違います。
私が寺巡りを始めるより、ずっと前から知っていた仏さまだからです。
子供の頃、まだ「はり新旅館」だった時代のことです。
旅館のロビーから廊下へ入った奥の壁に、奈良の仏像を写したポスターが貼られていました。
そこに写っていたのが、東大寺戒壇院の廣目天さんでした。
撮影したのは、奈良を撮り続けた写真家・入江泰吉氏です。
ポスターは子供だった私の背丈より高いところに貼られていました。
しかも、ロビーから廊下へ入った奥は少し陰になっています。
その暗がりの中で、ただでさえ凄みのある廣目天さんのお顔が上からこちらを見ている。
子供心には、ずいぶん威圧的で、少し怖い仏さまでした。
ところが大人になって寺巡りを始めると、今度は「あの廣目天さんの実物を見てみたい」と思うようになりました。
〈東大寺戒壇院へ。〉
子供の頃、入江泰吉氏の写真で見て「怖い」と感じていた廣目天さんに、ようやく会いに行きました。
そして戒壇院で、実物と対面しました。
そこで意外なことに気づきました。
「あれ、ウエストが細い。」
子供の頃の記憶では、もっと大きく、もっと恐ろしい存在でした。
ところが実際に拝見すると、立派な鎧を身につけながら、体つきは意外なほどすらりとしている。
「鎧を脱いだら、案外華奢なのかもしれないな。」
そんなことまで考えてしまいました。
もちろん、鋭い眼差しも、凄みのあるお顔も、子供の頃にポスターで見た廣目天さんです。
それなのに、もう怖くありませんでした。
むしろ、ずっと昔から知っている方に、ようやく実際にお会いできたような懐かしさがありました。
今でも戒壇院を訪ねると、四天王の中で廣目天さんに目が向きます。
私にとって廣目天さんは、寺巡りを始めてから見つけた「好きな仏さま」ではありません。
仏像などにまったく興味がなかった子供の頃から、知らないうちに記憶の中にいた仏さまなのです。
理由は分からなくても
こうして四尊について書いてみても、なぜ私はこの仏さまたちが好きなのか、やはりうまく説明できません。
仏像について専門的に勉強したわけでもありません。
振り返ってみれば、慶派の仏像に惹かれることが多いような気もします。
けれども、「この時代の、この様式だから好き」ということでもないのでしょう。
海龍王寺では「美しい」と思いました。
安倍文殊院では「こりゃ凄いぞ」と声が漏れました。
南円堂では「こんな仏さまが中にいらっしゃったのか」と驚きました。
廣目天さんには、子供の頃の「怖い」という記憶があります。
共通点はないようにも見えます。
ただ、四尊とも初めてお会いした時のことを、今でもよく覚えています。
そして、機会があればまたお会いしたいと思います。
「御朱印帳を埋めてみよう。」
そんな少々浅はかな動機から始まった私の寺巡りですが、御朱印帳がいっぱいになった後も、寺巡りは終わりませんでした。
今では御朱印帳を持たず、仏さまに会うためにお寺へ出かけることがあります。
好きな理由なんて、分からなくてもいいのでしょう。
また会いたい。
仏さまを好きになる理由は、それだけで十分なのかもしれません。



